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文献・歴史 [発生~2020年5月末]
 
  • 新型コロナ、日本独自戦略の背景に結核との闘い 対策の要「保健所」の歴史から見えるもの 47NEWS 2020/5/25 10:30 (JST) ​ 
    • 大阪府での現場経験も豊富な関西大の高鳥毛敏雄教授(公衆衛生学)に話を聞く。
    • 日本の公衆衛生は、欧米とは異なる経緯でつくられた保健所と保健師に支えられています。保健所は、結核に苦しんだ長い歴史があったことでつくられたものです。日本のコロナ対策は、欧米では聞かないクラスター対策を行い流行拡大の阻止をしていますが、それは全国に保健所と保健師が残されていたからこそ成り立っています。そうでなければ欧米諸国と同じ展開となった可能性があります。
    • 保健所が誕生した1937年は、日中戦争が始まった年。「結核予防会」が設立され、結核対策を担う保健所職員の教育訓練も担当してきました。また、保健師の育成については、都道府県・政令指定都市が専門学校を設けて養成しています。
    • こうした日本の結核対策は、治療法が確立していない時期にもかかわらず、社会の総力を結集することで死亡者を減らすことを実現させたのです。日本の新型コロナ対策の目標は、死亡者を最小限にとどめることとしていますが、これは結核対策でとられた目標と同じです。
    • 高度経済成長後、結核患者や死亡者が減少してきたことで、保健所数は減らされ、弱体化していましたが、それに歯止めをかけたのも結核でした。90年代に結核の再流行があったことにより、保健所が再強化されたのです。それが新型コロナ対策に幸いしました。このことを知っている人は案外少ないのではないでしょうか。
    • 結核対策に国をあげて取り組んできたことと比べ、結核以外の感染症に対する公衆衛生体制は放置されてきました。「伝染病予防法」は明治30(1897)年に制定されてから1999年まで改正されずにきました。伝染病予防法は、患者の人権を無視する「社会防衛」の考えが根幹にあります。感染者は切り捨てて、社会を守るというものです。患者の治療のことを盛り込んでなかったわけですね。この法律を近年まで改正せずにきたことが、感染症患者の医療機関体制が不十分となっていることにつながっています。
    • 感染症の指定医療機関が整備されはじめたのは、99年に「感染症法」(「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」)が施行されてからの話。新型コロナウイルスの感染拡大時に病床数の不足が問題となった理由がここにあります。全国で、特定感染症指定医療機関は4カ所、第一種感染症指定医療機関は55カ所にとどまっています。
    • 感染症の病床は依然として少ない状態が続いています。そのため、感染症が流行した時は、保健所が間に入り、〝門番〟として病院の機能を守ることが大切とされています。それが「発熱相談センター」とか「帰国者・接触者相談センター」というものが設けられた理由です。
    • 保健所についても効率性が追求されてきました。1994年の地域保健法成立後、保健所は統廃合され、大幅に数が減らされてきたのです。90年代初頭には全国で約850カ所あったのが、今年4月までに469カ所となり、ほぼ半減しました。この流れに待ったをかけ、踏みとどまれていたのは、結核患者数が増加に転じたから。99年には厚生省、日本医師会、結核予防会が連名で結核緊急事態宣言を発令しています。何とか踏みとどまれているのは、保健所の結核対応力が強化されていたためであることを知っておく必要があります。たまたまの、薄氷の上で対応できたのです。
    • 日本は憲法上、軍隊を持たない国であり、欧米や韓国とは少し異なる方向を目指す必要があります。地方自治体と国民とが主体的に関わり、協働して進めていく仕組みを進化させるしかありません。地方自治体の対応力を高め、国民の感染症対策の関与を高めることです。1994年に地域保健法が成立したことから、この方向に行かざるを得なくなっているのです。
    • 新型コロナウイルス感染症への対応でも、国からの上意下達というよりも、都道府県知事・事業者・住民の相互の協働体制で対応することが比較的うまくいっています。日本の感染症対策の未来像がすでに具現化していると言えます。
 
  • コロナが露わにしたビッグ・データという幻想 ポスト・グローバル化時代の「生命」と「情報」 広井 良典 : 京都大学こころの未来研究センター教授  2020/05/23 5:45
    • ​​感染症をめぐる歴史から気づく2つのポイント
      • 第1に、感染症の勃発は何らかの意味の「グローバル化」と関係している。
      • 第2に、「グローバル化」とも関連するが、コレラや結核などの例に顕著なように、感染症の爆発は、格差・貧困およびそれに伴う都市の衛生状態あるいは生活環境の悪化と密接に結び付いている場合が多いという点である
    • コロナの発生の有無とは独立に、現在の世界では「グローバル化の終わりの始まり」と呼べる大きな流れが生じており、あるいは「ポスト・グローバル化の世界」を構想すべき時期になっているのだ。
    • イギリスを含め、ある意味でこうした政策転換は“都合のよい”自国中心主義であり、グローバル化で“得”をしている間は「自由貿易」を高らかにうたって他国にも求め、やがて他国の経済が発展して自らが“損”をするようになると保護主義的になるという、身勝手な行動という以外ない面をもっているだろう。
    • 今後はむしろ「ローカル化(ローカライゼーション)」が進んでいく時代を迎えると考えている。できる限り「ローカル」なレベルで食料やエネルギー等を自給できるようにすることが、「グローバル」な問題の解決につながる。「ローカルな地域経済から出発し、ナショナル、グローバルと積み上げていく」という社会の姿が志向され、実現されつつある。
    • ​​​「ポスト・グローバル化」の2つの道
      • 1つは強い「拡大・成長」志向や利潤極大化、ナショナリズムとセットでのものであり、そこでは格差や貧困、環境劣化は大きく、トランプ現象はある意味でその典型である。
      • もう1つは環境あるいは「持続可能性」、そしてローカルな経済循環や共生から出発し、そこからナショナル、グローバルへと積み上げていくような社会の姿であり、上記のようにドイツ以北のヨーロッパに特徴的である。
        • ​エアランゲンという人口約10万の中小都市は、日本の同規模の地方都市がほぼ間違いなくシャッター通り化しているのと異なり、中心部が賑わい、しかも自動車交通が排除されて誰もが「歩いて楽しめる」コミュニティ空間となっている。先ほど述べた「ローカルな経済循環や共生から出発」とはこうした姿を指している。
    • ​​今回のパンデミックは、これから私たちが生きていく21世紀の時代が、「ポスト情報化」そして「生命」を基本コンセプトにする時代になっていくことを象徴的に示しているという点だ。
      • 「情報」の次なる基本コンセプトは明らかに「生命」であり、それはこの世界におけるもっとも複雑かつ根源的な現象であると同時に、(分子生物学といった)ミクロレベルのみならず、生態系(エコシステム)、地球の生物多様性、その持続可能性といったマクロの意味ももっている。
    • ​関連情報:AIは「新型コロナ禍の悪夢」を予言したのか 少極集中から分散型システムへの転換が急務 広井 良典 : 京都大学こころの未来研究センター教授  2020/05/17 5:45
      (1)「都市集中型」から「分散型システム」への転換
      (2)格差の是正と「持続可能な福祉社会」のビジョン
      (3)「ポスト・グローバル化」の世界の構想
      (4)科学の基本コンセプトは「情報」から「生命」へ
  • 『日本書紀』が記す古代日本のパンデミック ――オオモノヌシを祀る大神神社と疫病の深い関係 2020/05/22  ウェッジ書籍編集室
    • 日本人は実は古代より幾度となく苦しめられてきたのです。それを証言するのが、今年(令和2年)で編纂1300年を迎える『日本書紀』です。
    • 『日本書紀』には、崇神天皇の時代に、疫病が国中に流行して、多くの民が亡くなり、混乱に陥ったことが記されています。これは感染症流行(パンデミック)に関する日本最初の記録でもあります。百姓は流離し、なかには背く者もあり、その勢いは天皇の徳をもってしても収まりませんでした。
      • 崇神天皇。『日本書紀』によれば、即位5年、疫病が流行して人口の半ばが失われたとされる(『御歴代百廿一天皇御尊影』)
  • コロナ大恐慌の突破策「岩盤規制」をぶっ壊せ! コロナ後の新常態 危機を好機に変えるカギ 磯山友幸 (経済ジャーナリスト)2020年5月20日 WEDGE infinity 
    • 現代では当たり前と思われている制度や仕組み、生活習慣などが、1929年に始まった世界大恐慌をきっかけに出来上がったものがいくつもある。未曾有の危機を乗り越えようと、様々な改革が検討され、実行された結果だ。例えば「週40時間労働」が基準になったのも、大恐慌後の改革から始まった。最低賃金や16歳未満の児童労働の禁止なども、今流で言うワークシェアリングを実行するために導入が求められた。
      1920年代に一気に花開いた技術革新とそれに伴う働き方の変化は、大恐慌以降、元に戻るどころか、むしろ加速したわけだ。
    • 「新しい働き方」が求められれば、企業の行動も変わる。昨年あたりからDX(デジタル・トランスフォーメーション)が叫ばれるようになった。紙とハンコで進めてきた業務をデジタルに置き換えるだけでなく、すべての業務をデジタルで行うことを前提に見直し、業務全体を効率化するという動きだ。
    • つまり、時代の変化が始まっていたところに、新型コロナ禍による「新しい生活様式」が加わり、変化を加速させつつあるのだ。新型コロナに伴う経済凍結は、このままでは90年前とは比べものにならない経済収縮をもたらし、社会の仕組みを根本から見直すことが突きつけられることになる。
  • 歴史が示唆する新型コロナの意外な「終わり方」 過去のパンデミックはどう終息したのか The New York Times 2020/05/19 5:25 東洋経済ONLINE
    • 歴史学者によると、パンデミックの終わり方には2通りあるという。1つは医学的な終息で、罹患率と死亡率が大きく減少して終わる。もう1つは社会的な終息で、病気に対する恐怖心が薄れてきて終わる。
    • 「『いつ終わるんだろう』と人々が言う場合、それは社会的な終息を指している」と、ジョンズ・ホプキンス大学の医学史学者、ジェレミー・グリーンは言う。つまり、病気を抑え込むことによって終わりが訪れるのではなく、人々がパニック状態に疲れて、病気とともに生きるようになることによっても、パンデミックは終わるということだ。
    • 病気の流行がなくても、恐怖の流行は起こる。そして、恐怖の蔓延は、人種や階級や言語などの問題によって複雑化すると、さらに悪い結果をもたらす
    • ジョンズ・ホプキンス大学の歴史学者、マリー・フィセルによると、歴史学的にはペストの大流行は3回起こったという。6世紀の「ユスティニアヌスのペスト」、14世紀の「中世の大流行」、そして19世紀末から20世紀はじめにかけてのパンデミックだ。ペストがどのようにして終息したのかは明らかではない。ただし、ペストは完全に消え去ってはいない。
    • 医学的に根絶された病気としては、天然痘が挙げられる。だが、天然痘の根絶は、次のような条件が揃った例外的なものだ。まず、天然痘にはワクチンがあり、その効果は一生続く。また、天然痘ウイルスの小痘瘡(しょうとうそう)は動物を宿主としないので、人間のあいだで病気がなくなれば完全に根絶されたことになる。さらには、症状がかなり明確なので、感染したことがわかりやすく、隔離や接触者の追跡がしやすい。
    • 1918年のインフルエンザ(俗に「スペインかぜ」と呼ばれる)は、世界を席巻したあと、徐々に消えていき、毎年あらわれるような、弱いインフルエンザに変わっていった。社会的にも終息した。第1次世界大戦が終わったあと、人々は再出発や新たな時代に意識を向けており、病気や戦争の悪夢を忘れ去ろうとしていた。最近まで、1918年のインフルエンザはほとんど忘れられていた。
    • 新型コロナウイルス感染症の場合はどうなるだろうか。歴史学者が1つの可能性として挙げるのは、医学的に終息する前に、社会的に終わりを迎えるのではないかということだ。人々がさまざまな制約に嫌気がさし、まだウイルスがくすぶっていても、ワクチンや効果的な治療方法が開発されていなくても、もうパンデミックは終わったと宣言する。「こうした葛藤が現在生じている」とロジャースは言う。
    • パンデミックの終わりを定義するのは「長くて困難なプロセスになる」。
  • 特集:コロナ対策に見る「失敗の本質」  溜池通信 vol.690  May 8th 2020 双日総合研究所 吉崎達彦

    • 今こそ読み返すべき35 年前の名著『失敗の本質~日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社)

      • たぶん 70 年以上前の日本軍が抱えていた問題点は、あまり解決されないままに今日の組織に引き継がれている。そして今も、盛大な形で現在進行形なのではないだろうか。
         * 中国からの入国制限の遅れ(習近平主席訪日の予定に忖度?)(1 月)
         * ダイヤモンド・プリンセス号をめぐる検疫の不手際(2 月)
         * 3 月の 3 連休に桜が開花したところ、外出が増えて全国的に感染者が増加(3/21-23)
         * 東京五輪の延期を決めてから(3/24)、慌てて「不要不急の外出自粛」を要請(3/25)
         * 「1 世帯当たり 2 枚の布製マスクを配布」(アベノマスク)が不評(4/1)
         * 東京都に追われる形で 7 都府県に「緊急事態宣言」(4/7)→のちに全国拡大(4/16)
         * 閣議決定済みの補正予算を、あまりの評判の悪さに急きょ組み換えを決断(4/16)
         * 5 月 6 日までの予定であった緊急事態宣言を、5 月末まで延長(5/4)

    • 日本型組織は「短期決戦」思考

      • 「戦力の逐次投入」「兵站や諜報を軽視する」「防御への関心が薄い」といった日本軍の悪い癖は、すべて「短期思考のなせる業」だと考えるとまことにわかりやすい。長期思考であれば、当然、その正反対を選ぶはずだからだ。

      • 軍隊は安定していて、中に居る者にとって住み心地の良い組織であった。内部の人間関係を大切にするから、失敗を直視することができず、結果よりも動機やプロセスによる人事評価が横行した。それでいて「余裕のない組織であった」という指摘は、今日の多くの日本の組織にも共通している特徴なのではないだろうか。

    • 「和製=仏式」ロックダウンを成功させるには

      • 重要テーマは「専門家」の使い方である。専門家会議の専門家はあくまでも感染症の専門家であって、「イノチの問題」のプロである。イノチとおカネ、併せて判断するのが政治家の仕事だということだ。

      • 政治家はジェネラリストなのである。ジェネラリストがスペシャリストを盲信するようでは困るのだ。政治家がちゃんと専門家を使いこなすこと。そして信用を取り戻すこと。

    • 「9 月入学」なんて本当にできるのか?

      • そもそも日本という国は、いろんなものが「4 月始まり、3 月締め」でまとまっている珍しい国なのだ。長い時間をかけて、ここに収斂したのである。いわば国民的な合意なのである。こういうことを変えるのは難しい。

      • ただし政治が本気で取り組めば、今なら世論の支持があるから「9 月入学」は不可能ではないのではないか。コロナ騒動が終わったときに、「あのことで実現したポジティブな変化」のひとつと評価されるかもしれない。試してみる価値はあるだろう。コロナ対策が防戦一方である必要はないのだから。

      • [補]『増補 転落の歴史に何を見るか』(ちくま文庫)の冒頭

        • 野中先生の伝えるべき教訓というのは、たった一言であった。何が物事の本質か。これを議論し突き詰める組織風土を維持しつづけることだ。それに尽きる、ということだった。

  • 「動物由来感染症」、拡大の原因は人的活動 新型コロナ 2020年5月4日 17:00 発信地:パリ/フランス [ フランス ヨーロッパ ] AFPBB News

    • 新型コロナウイルスの人への感染を可能にしたのは人の活動に他ならない。専門家らは、このまま何も変わらなければ、今後もこの種のパンデミック(世界的な大流行)が発生するだろうと警告する。

    • 国連環境計画(UNEP)によると、人の感染症の6割が動物由来だという。新興感染症に限れば、この割合は75%に上昇する。新興感染症としては、エボラ出血熱、エイズ(AIDS、後天性免疫不全症候群)、鳥インフルエンザ、ジカ熱、コロナウイルスの一種の重症急性呼吸器症候群(SARS)など多数が挙げられる。

    • UNEPが2016年に発表した報告書によると「動物由来感染症の出現は、農業の集約化、人の定住、森林や他の動物生息地への侵入などの環境の変化やかく乱に関連する場合が多い」という。

    • 主要な懸念領域は、農地に転用するための森林伐採と集約的な畜産業だ。家畜は自然界の病原体と人との間の「橋渡し」となる場合が多い。また、畜産業界で抗生物質が広く使用されることにより、臨床現場で用いられる薬剤に対して病原体が耐性を持つことにもつながるのだ。

    • 世界的に有名な英出身の霊長類学者、ジェーン・グドール(Jane Goodall)博士(86)は、新型コロナウイルスのパンデミックは人類が自然を無視し、動物を軽視したことに原因があると指摘している。

  • ヨーロッパ人の1/3が死んだ「黒死病」、歴史の教訓 労働力不足で社会が崩壊、急拡散の背景に当時の「教え」 2020.05.04 NATINAL GEOGRAPHIC

    • 1347年から1351年にかけてヨーロッパを襲った黒死病のパンデミックは史上最悪の規模となり、ヨーロッパの人口の3分の1が命を落としたとされる。

    • 黒死病の正体がアジアとヨーロッパで周期的に流行する腺ペストだったことに、ほとんどの歴史学者が同意している。腺ペストはペスト菌が引き起こす疾患で、6世紀にビザンチン帝国(東ローマ帝国)で大流行して2500万人の命を奪った「ユスティニアヌスの疫病」も同じものだった。

    • 14世紀の黒死病の後も大勢のヨーロッパ人がペストによって命を落とし、1665年の英国ロンドンでの流行は特に規模が大きかった。最後となる三度目のパンデミックは19世紀半ばに始まり、20世紀まで続いた。

    • 黒死病は、生き延びた人々の生活や意識を一変させた。農民も王子も同じように黒死病に倒れたことから、当時の文献には、黒死病の前では身分の差などなんの意味もないという思想が繰り返し登場する。

    • 黒死病の原因についてはいくつもの説が提案されたが、そのほとんどが宗教や迷信を前提にしていた。こうした迷信的な説が完全に否定されたのは、三度目のパンデミックが起きたときだった。その頃には研究者は病原体を特定できるようになっていて、1894年に日本の北里柴三郎とフランスのアレクサンドル・イェルサンという2人の細菌学者が同時期にペスト菌を発見した。

    • のちにエルシニア・ペスティスと命名されたこの細菌は、ネズミなどの小型げっ歯類に寄生するノミによって媒介される。ペストは動物から人間に伝染する動物由来感染症(ズーノーシス)なのである。

    • 黒死病の主な病型は腺ペストであること、ノミだらけのネズミや旅人が船に乗ることで遠くまで広めたことを示している。海上貿易が拡大していったこの時代、食料や日用品は、国から国へと、どんどん長い距離を運ばれるようになっていた。これらと一緒に、ネズミや細菌も1日に38kmのペースで広まっていった。

    • 人口が激減したのは、黒死病に罹患した人々が死亡しただけでなく、畑や家畜や家族の世話をする人がいなくなり、広い範囲で社会が崩壊したからである。中世のパンデミックが終わったあとも小規模な流行は続き、ヨーロッパの人口はなかなか回復しなかった。人口増加が軌道にのってきたのは16世紀頃である。

    • パンデミック後の数十年間は労働力不足により賃金が高騰した。かつての肥沃な農地の多くが牧場になり、村が丸ごと打ち捨てられることもあった。英国だけで1000近い村が消えた。地方から都市に向かって大規模な移住が起きたため、都市は比較的速やかに回復し、商業は活気を取り戻した。田舎に残った農民は遊休地を手に入れ、土地を持つ農民の権力が増し、農村経済が活性化した。

    • 実際、歴史学者たちは、黒死病から新しい機会や創造性や富が生まれ、そこからルネサンスの芸術や文化や概念が開花し、近代ヨーロッパが始まったと主張している。

  • 繰り返される日本の失敗パターン 丸川知雄 2020年05月02日(土)17時15分 ニューズウィーク日本版

    • これまで日本政府がやってきたことを眺めると旧日本軍の失敗パターンを繰り返している気がしてならない。戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎の共著『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』には、コロナ禍に直面した日本政府の行動を読み解くヒントがちりばめられている。

    • 1.あいまいな戦略

      • 「人との接触を8割削減」という戦略には、「人の流れ」と「接触機会」との混同があり、「接触機会」という概念は首相でさえ正しく理解していないし、「人の流れ」とは異なってデータで検証することも簡単ではないので、理論疫学の計算で使うにとどめ、政府が掲げる戦略とすべきではない

    • 2.役に立たない兵器

      • 太平洋戦争中の旧日本軍の秘密兵器に「風船爆弾」というものがあった。通称「アベノマスク」も役に立たないという点では風船爆弾とどっこいどっこいのようである。

      • アベノマスクに大量の不良品が混じっているうえ、漏れ率100%でそもそも感染予防には役に立たないことが明らかになった以上、回収して検品しなおして再配布するなどという無駄なことは直ちにやめ、未配布分は廃棄すべきである。

    • 3.科学よりも情緒に引きずられた入国拒否

      • 日本で3月末以降感染が拡大しているウイルスは欧州のウイルスと遺伝子型が似ているという。つまり、日本政府は韓国にだけは果断に入国拒否したが、イタリアなど欧米各国に対しては情緒に引きずられて入国を遮断するタイミングを逸し、そのためにウイルスの流入を招いてしまったのである。

        • まず1月31日に中国湖北省に滞在歴のある外国人の入国を拒否すると発表した。武漢の都市封鎖が行われたのが1月23日だからその直後に湖北省から入国拒否をしてもよかったが、8日間も遅れてしまった。習近平国家主席の来日を控えての遠慮があったのではないかと疑われる。

        • 2月16日に日本政府は中国浙江省も入国拒否の対象に加えた。しかし浙江省での感染拡大は2月13日までに終わっていたのでやはりタイミングが遅すぎた。

        • 2月下旬には韓国で大邱を中心に感染爆発が起きた。日本政府は2月26日に大邱および慶尚北道清道郡からの入国を拒否すると発表した。1週間に感染爆発が起きた。つまり韓国に対しては感染の上りはなを捉える絶妙のタイミングで入国拒否が行われたのである。

        • 3月に入るとイタリアで感染爆発が起きた。日本政府は3月10日にイタリアのヴェネト州など5州からの入国を拒否すると発表した。10日前にイタリアに対して入国拒否を実施すべきだった。
          3月半ば以降はアメリカでの感染がものすごいことになってしまったが、日本政府がアメリカからの入国拒否を発表したのはようやく4月1日である。あまりに遅すぎた。

    • 4.厚生労働省による統計操作

      • 太平洋戦争で日本の敗色が濃くなっていった時、大本営が国民に対して戦況を歪曲して伝えていたことはよく知られている。今日の厚生労働省は日本の患者数や死者数を意図的に少なく見せかけようと小細工を弄しており、不信感を抱かずにはいられない。

        • クルーズ船の乗員・乗客のなかの感染者数がWHOのレポートで別立てになっているのは後にも先にもDP号だけである。つまり、クルーズ船を自国の統計から除外して自国の数字を小さく見せかけるという操作を行ったのは日本だけだということがWHOのレポートを通じて日々世界に向けて発信される。

        • 4月10日まではNHKが都道府県から情報を集めて発表する死者数と厚生労働省が発表する死者数とが一致していたのが、4月11日から21日まで両者の乖離が次第に大きくなっていったことである。この時何が起こっていたのかというと、厚生労働省のホームページによれば、「都道府県から公表された死亡者数の一部については個々の陽性者との突合作業中のため、計上するに至っていない」とのことである。
          緊急事態宣言が出たこの重要局面で厚生労働省はいったいなぜ「突合作業」に時間をかける愚を犯したのか。
          この時期には、日本の死者数が韓国の死者数に迫っていたのだ。おそらく厚生労働省は日本の死者数が韓国を超えるのを避けたかったのである。しかし、都道府県が発表する死者数を隠すわけにもいかないので、「突合作業」に時間をかけることによって国全体の死者数を見かけ上少なくした。
          4月21日についにNHKが韓国超えの死者数を発表してしまった。厚生労働省もついに観念し、翌日には統計上の死者数を一気に91名も増やした。

    • これ以外にも、「クラスター潰し」という当初はうまくいっていた感染拡大防止の戦略に固執し、感染の急拡大という次の局面に対応する戦略が準備されていなかったなど、旧日本軍の失敗パターンを想起させる事例はまだまだある。

  • 新型コロナ「過去1千年なかった経験」と専門家、「完全終息時期」を歴史から予測 ERAdot. キャリア・スキル from AERAdot. 2020.5.2 5:00東京

    • 東京医科大学病院の濱田篤郎教授(渡航医学)はこう指摘する。

      • 「農耕社会が始まって何千年もの間、感染症は人類にとって大きな脅威になってきました。集団で生活することによって、空気感染や飛沫(ひまつ)感染が起きやすくなる上、動物を家畜にすることで動物の感染症がヒトの世界に入ってきたためです」

      • 「動物からヒトに感染した病原体があっという間にパンデミック(世界的な大流行)を起こすという経験は、少なく見積もってもこの1千年ほどはなかったのではないでしょうか」

      • 「特に第2次世界大戦後、人類がアジアやアフリカなど世界中の至るところで開発行為を進めました。これまで接することのなかった動物との接触を繰り返すことで、未知の病原体の感染が広がってきたと考えられます」

      • 「いったん終息することはありえますが、完全に終わるのはワクチンができるまで無理ではないでしょうか」

  • 日本でマスクが普及したのはいつから? マスクの歴史 2020/04/21 05:51 ウェザーニュース

    • 日本でのマスクの歴史は、明治初期に始まりました。当時のマスクは真鍮(しんちゅう)製の金網を芯にして、布地をフィルターとして取り付けたものだったといいます。炭鉱などで働く人たちの粉塵(ふんじん)除けが、おもな用途でした。ところが、1918(大正7)年に始まったインフルエンザ(スペインかぜ)の大流行により、予防品として注目を集めるようになったのです。

    • その後、マスクは国内に普及し、1923(大正12)年に内山武商店が発売した「壽(ことぶき)マスク」が、商標登録品第1号に認定されました。

    • 布に代わるガーゼマスクが生まれたのは、1950(昭和25)年のことでした。

    • 1973(昭和48)年、現在のマスクの主流となっている「不織布(ふしょくふ)製プリーツ型」の原型となる製品が、日本で生産・販売されるようになりました。

    • 2000(平成12)年以降に登場した立体マスクは、「圧迫感がなく、口紅なども付着しにくい」と、人気になっています。

 

  • 新型コロナ最悪シナリオを8年前に想定したドイツの危機管理 熊谷 徹在独ジャーナリスト 日経ビジネス2020年4月21日

    • ​​ドイツが死亡率を低く抑えている背景には、同国のウイルス学の専門家たちが、未知のコロナウイルスによるパンデミックを想定したリスク分析を8年前に公表し、政府や議会に警鐘を鳴らしていた事実がある。

    • この文書は、ドイツ政府の国立感染症研究機関であるロベルト・コッホ研究所(RKI)や、連邦防災局などが2012年12月10日に作成し、翌年1月3日に連邦議会に提出したもの。「2012年防災計画のためのリスク分析報告書」という題名が付けられている。

      • シナリオを作成する際には、様々な悪条件が重なって被害が大きくなる、最悪の事態(ワーストケース・シナリオ)が使われる。

    • ドイツ連邦政府は、こうした悲観的なシナリオとリスク分析に基づき、16の州政府の保健省に対して「パンデミック・プラン」を作成し、緊急事態へ向けた準備を整えるよう要請した。今年2月以降、各州政府は、準備していたパンデミック・プランを始動させ「戦闘態勢」に入った。

    • ドイツ人は常に最悪の事態を想定し、災害が現実化した時のリスクや被害を最小限にするため多額のコストをかけて、努力を行う。2010年の福島原発事故直後に、メルケル政権が全ての原子力発電所を廃止する決定を行ったときもそうだった。

  • RIEB Discussion Paper Series No.2020-J07 感染症の社会経済史的考察 ―新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大への含意を念頭に― 2020 年 4 月20日 鎮目 雅人 神戸大学経済経営研究所
    •  近代においては医学の発達と公衆衛生知識の普及による治療法と予防法の発達から、死亡率は劇的に低下した。その際、経済成長により生産性および所得水準が上昇したとしても、市場を通じた経済活動だけで感染症に対して有効な対策を採ることは難しく、死亡率を低下させるためには政府の関与が重要な役割を果たしてきた。
    •  第 1 次世界大戦末期の 1918 年から世界的に流行したインフルエンザ(いわゆるスペイン風邪)は、終息までに約 2 年を要した。日本では、1918 年から 1920 年のインフルエンザ流行時には、終息までの約 2 年間に全人口の約 4 割にあたる 24 百万人が発症し、同じく 0.6~0.8%にあたる 35~45 万人が死亡した。
    • 当時インフルエンザの病原体であるウイルスは未発見であったが、感染拡大の防止に向けた密閉・密集・濃厚接触の回避、マスク着用の徹底とうがいの励行、患者の早期隔離、ワクチン開発の試みなど、内容的には現代の予防・治療法と比べてもそれほど遜色ない感染症対策が試みられた。しかしながら、対策が後手に回り、また経済活動を規制する方策を徹底するには至らず、感染の蔓延を招いた。なお、感染症流行への対応として景気刺激や所得補てんなどの経済対策が発動された形跡はなく、感染症対策は、あくまで社会政策の一環として運営された。
    • 現在、「社会的隔離」に伴う需要構造の劇的な変化が生じている。主たる問題は、需要と供給の量的不整合ではなく、質的不整合であると考えられる。また、生産設備や労働力が物理的に毀損しているわけではなく、むしろ、需給の質的なミスマッチのために遊休資源が存在していると考えられる。その意味では、軍需から民需への急速な需要のシフトが発生し、供給サイドの構造転換が要請される中で、供給面のボトルネックの解消に向けて政府がビジョンを示し、民間部門を誘導していった戦後復興期の経験が参考となると思われる。
 
  • 藤原辰史:パンデミックを生きる指針  ——歴史研究のアプローチ 最終更新:2020年4月18日 岩波新書編集部
    • 起こりうる事態を冷徹に考える
      • 為政者の楽観と空威張りを、マスコミが垂れ流し、政府に反対してきた人たちでさえ、かなりの割合で信じていたことは、歴史の冷酷な事実である。
    • 国に希望を託せるか
      • 為政者が、国民の生命の保護という目的を超えて、自分の都合のよいようにこの手の宣言を利用した事例は世界史にあふれている。どれほどの愚鈍さを身につければ、この政府のもとで危機を迎えた事実を、楽観的に受け止めることができるだろうか。
    • 家庭に希望を託せるか
      • そもそも、子どもにとって家庭は安全な存在だろうか。あるべきかどうかではない。そうなのかどうか、である。日本は、七人に一人の子どもが貧困状態にある国である。
      • 社会的に弱い立場にある人を支える場所が、新型コロナウイルスの影響で機能が低下したり、機能不全に陥ったりしている。
    • スペイン風邪と新型コロナウイルス
      • 参考にすべき歴史的事件は、SARS やエボラ出血熱よりも「スペイン風邪」、すなわち、スパニッシュ・インフルエンザだと私は考える。百年前のパンデミックである。
        • どちらもウイルスが原因であり、どちらも国を選ばず、どちらも地球規模で、どちらも巨大な船で人が集団感染して亡くなり、どちらも初動に失敗し、どちらもデマが飛び、どちらも著名人が多数死に、どちらも発生当時の状況が似ている。
      • ここ十年の人の移動の激しさは当時の比ではない。その最大の現象は昨今のオーバーツーリズムである。かつての兵士はいまのツーリストである。船ではなく飛行機で動くツーリストたちの動きは、頻度と量が桁違いだ。それが今回の特徴である。
    • スペイン風邪の教訓
      • 第一に、感染症の流行は一回では終わらない可能性があること。スパニッシュ・インフルエンザでは「舞い戻り」があり、三回の波があったこと。一回目は四ヶ月で世界を一周したこと。一回目よりも二回目が、致死率が高かったこと。来年の東京五輪が開催できる保証はどこにもない。
      • 第二に、体調が悪いと感じたとき、無理をしたり、無理をさせたりすることが、スパニッシュ・インフルエンザの蔓延をより広げ、より病状を悪化させたこと。
      • 第三に、医療従事者に対するケアがおろそかになってはならない。世界現代史は一度だって看護師などのケアの従事者に借りを返したことはないのである。
      • 第四に、政府が戦争遂行のために世界への情報提供を制限し、マスコミもそれにしたがっていたこと。これは、スパニッシュ・インフルエンザの爆発的流行を促進した大きな原因である。情報の開示は素早い分析をもたらし、事前に感染要因を包囲することができる。
      • 第五に、スパニッシュ・インフルエンザは、第一次世界大戦の死者数よりも多くの死者を出したにもかかわらず、後年の歴史叙述からも、人びとの記憶からも消えてしまったこと。それゆえに、歴史的な検証が十分になされなかったこと。
      • 第六に、政府も民衆も、しばしば感情によって理性が曇らされること。現在も、疑心暗鬼が人びとの心底に沈む差別意識を目覚めさせている。品性の喪失は、パンデミック鎮静化のための国際的な協力を邪魔する。
      • 第七に、アメリカでは清掃業者がインフルエンザにかかり、ゴミ収集車が動けなくなり、町中にごみがたまったこと。もちろん、それは都市の衛生状況を悪化させること。医療崩壊ももちろん避けたいが、清掃崩壊も危険であること。
      • 第八に、為政者や官僚にも感染者が増え、行政手続きが滞る可能性があること。
    • クリオ(歴史の女神)の審判
      。私たちは、今回こそは、今後使いものになる指針めいたことを探ることはできないだろうか。
      • 第一に、うがい、手洗い、歯磨き、洗顔、換気、入浴、食事、清掃、睡眠という日常の習慣を、誰もが誰からも奪ってはならないこと。
      • 第二に、組織内、家庭内での暴力や理不尽な命令に対し、組織や家庭から逃れたり異議申し立てをしたりすることをいっさい自粛しないこと、なにより、自粛させないこと。その受け皿を地方自治体は早急に準備すること。
      • 第三に、戦争にせよ、五輪にせよ、万博にせよ、災害や感染などで簡単に中止や延期ができないイベントに国家が精魂を費やすことは、税金のみならず、時間の大きな損失となること。どのイベントも、その基本的な精神に立ち戻り、シンプルな運営に戻ること。とくに、日本のような災害多発列島はいつキャンセルしても対応可能な運営が望まれる。
      • 第四に、現在の経済のグローバル化の陰で戦争のような生活を送ってきた人たちにとって、新型肺炎の飛沫感染の危機がどのような意味を持つのか考えること。
      • 第五に、危機の時代に立場にあるにも関わらず、情報を抑制したり、情報を的確に伝えなかったりする人たちに異議申し立てをやめないこと。
        • 台湾の保健省大臣のように、体力的にも知能的にも、何時間でもどんな質疑が来ても誠実に応答できる人間だけが、政治を担うことができる。
        • また、インターネット上の新聞記事は、個人の生命に関わる重要な記事にもかかわらず、有料が多い。情報の制限が一人の救えたかもしれない命を消すこともあるのだ。せめて新型コロナウイルスに関する記事だけでも無料で配信するのが、メディアの社会的責任である。
      • 日本は、各国と同様に、歴史の女神クリオによって試されている。クリオが審判を下す材料は何だろうか。試されるのは、いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うかである。いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である。危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日常の危機を顕在化させる。
      • 「しっぽ」の切り捨てと責任の押し付けでウイルスを「制圧」したと奢る国家は、パンデミック後の世界では、もはや恥ずかしさのあまり崩れ落ちていくだろう。
 
  • 新型コロナ 温故知新 新型インフルエンザの感染拡大時には、なにが起きたか? ニッセイ基礎研究所 2020年04月15日
    • 新型インフルエンザは、2009 年 4 月 24 日にアメリカとメキシコで初めて確認された。ブタ由来の ウイルスが人にうつり、それが、人と人の間でも感染するようになった。新型インフルエンザのパンデミックは、約 1 年 2 ヵ月続いた。
    • 多くの国で「第 1 波」の感染拡大のあとに「第 2 波」がおとずれた。
    • 感染の蔓延化により、感染者数の数値の信憑性が薄れ、WHO は新型インフルのピーク時に感染者数の公表を中止した。 今回の新型コロナでは、1 月 21 日より、いまのところ毎日、国別に感染者数と死亡者数が公表され ている。今後もその推移に注目が集まるだろう。ただし、世界中で感染が蔓延化して軽症感染者が増えていけば、感染者数の数値報告そのものが意義を失っていくことも考えられる。

 

  • 100年前5億人が感染したスペイン風邪 なぜ日本も終息に丸2年かかったのか? 文春オンライン 2020年4月14日

    • ​1918年~1920年にかけてパンデミックを引き起こしたスペイン風邪は、元来その発症地点がアメリカ・カンザス州の米陸軍兵営であったが、当時第1次大戦中で戦時報道管制の枠外だった中立国のスペインから情報が世界に発信されたことにより「スペイン風邪(スパニッシュ・インフルエンザとも)」と名付けられ、おおむね1918年9月末から10月初頭にかけて船舶を通じ日本に上陸した。

    • 「パンデミックは数次にわたって起こる」こと。「パンデミックの波の後になればなるほど重症化する例が多い」「全年齢層にくまなく襲い掛かった」というのはスペイン風邪のたどった揺るぎない事実である。

         一、 演説会・講演会・説教等

            流行時にはなるべくこの種の会合を見合わすこと。

         二、 学校・幼稚園等

            学校閉鎖 学校内、学校所在地およびその近傍において患者発生の場合は状況により、

            速やかに全校またはその一部を閉鎖すること。

         三、劇場・寄席・活動写真等

            流行時には入場者のマスク使用を奨励し、衛生施設を一層厳密にし、状況により興行を

            見合わすこと。

         四、 祭礼・祝賀会・法会・葬式等における多人数の集合はなるべくこれを避けること。

      (内務省,180より)>

  • 「早さ」と「徹底」がやはり対策の鍵、スペインかぜの教訓 新型コロナに生かせるか、対策のタイミングと内容と効果を詳しく検証 2020.04.01 NATIONAL GEOGRAPHIC
    • グローバル化、都市化、大都市の人口密集などが進んだために、ウイルスが数時間で全土に広がりうる一方で、実際のところ、その対抗手段は以前とほとんど変わっていない。ワクチンのない伝染病に対する防御の第一線は、現在でも公衆衛生的な介入であり、具体的には学校、商店、飲食店の閉鎖、移動制限、社会的距離の確保の義務化、集会の禁止などだ。
    • 1918年に流行したインフルエンザ、いわゆる「スペインかぜ」の感染拡大は1920年まで続き、近代史上最悪のパンデミック(世界的流行)となった。1918年のこのインフルエンザに、最も成果を上げたのはやはり思い切った、かつ徹底的な対策だった。
      • 集会を固く禁じ、厳しく取り締まったセントルイス、サンフランシスコ、ミルウォーキー、カンザスシティーでは、結果的に感染率が30から50パーセントも低下したのだ。また、最初に強制隔離と時差出勤を実施したニューヨーク市では、死亡率が東海岸で最も低かった。
    • 介入を緩和する時期が早すぎると、状況が逆戻りするということだ。
      • 例えばセントルイス市では、死亡率が低下したことを受けて大胆にも集会の制限を解除した結果、2カ月も経たないうちに集団発生が始まり、新たな症例が相次いだ。介入を継続した市は、セントルイス市などで見られたような2回目の死亡率のピークが見られなかった。
    • 1918年のインフルエンザにおいて、死亡率の急上昇を防ぐ鍵は「社会的距離」戦略であったと同論文は評価する。同じことが、約100年を経た今、新型コロナウイルスとの戦いにも当てはまる可能性は高い。

  • 感染症パンデミック時の対応  田辺 正樹 日本内科学会雑誌 第103巻 第11号・2014年(平成26年)11月10日
    • 世界的な大流行(パンデミック)を引き起こす可能性のある感染症(新型インフルエンザ・新感染症)が 発生した場合の対応について定めた新しい法律「新型インフルエンザ等対策特別措置法」が,2013 年 4 月に施行された.同年 6 月,具体的な対策などを定めた「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」「新型 インフルエンザ等対策ガイドライン」が策定された.各医療機関においては,地域における役割に応じ, 診療継続計画を策定し,対策を立案していく必要がある。​

  • スペインかぜ5000万人死亡の理由 2014.05.02 NATIONAL GEOGRAPHIC

    • 人類の医学史上、最も大きな謎の一つを解明したかもしれないと研究結果が4月28日に発表された。1918年に大流行したスペインかぜ(インフルエンザ)では世界中で5000万人が死亡したが、犠牲者が主に若い健康な成人だったのはなぜなのか、これまで明らかになっていなかった。

    • 答えは驚くほどシンプルだ。1889年以降に生まれた人々は、1918年に流行した種類のインフルエンザウイルスを子どもの頃に経験(曝露)していなかったため、免疫を獲得していなかったのだ。一方、それ以前に生まれた人々は、1918年に流行したインフルエンザと似た型のウイルスを経験しており、ある程度の免疫があった。

    • 研究を主導したアリゾナ大学の生物学者マイケル・ウォロビー(Michael Worobey)氏は、「史上最悪のインフルエンザのパンデミックで罹患者が最も多かった高齢者は、基本的にほとんどが生き残った」と述べる。一方で、18~29歳の年齢層では大量の死者が出て、罹患者の200人に1人の割合で亡くなっている。

    • コロンビア大学のウイルス学者、ビンセント・ラカニエロ(Vincent Racaniello)氏によると、今回の新しい研究ではコンピューター解析によって1918年型インフルエンザウイルスの前駆体が1907年頃に発生したことが判明した。

  • 新型インフルエンザ(A/H1N1)対策総括会議 報告書 平成 22 年 6 月 10 日

    • 本会議は、計7回の会議で40名超の特別ゲストにお越しいただきご意見をいただくなど、現場の状況を十分に踏まえる努力をしつつ議論を行った。
      これらを踏まえ、ここに厚生労働省に対する提言として報告書をまとめた。厚生労働省は、関係省庁とも密に連携を図りながら、また、検討の過程を随時オープンにしつつ、この報告内容を国の対策に活かしていくべきである。

    • 全般的事項

      • 病原性等に応じた柔軟な対応

      • 迅速・合理的な意思決定システム

      • 地方との関係と事前準備

      • 感染症危機管理に関わる体制の強化

        • 地方自治体の保健所や地方衛生研究所を含めた感染症対策に関わる危機管理を専門に担う組織や人員体制の大幅な強化、人材の育成を進めるとともに、関係機関のあり方や相互の役割分担、関係の明確化等が必要である。

        • 厚生労働省における感染症対策に関わる危機管理を担う組織においては、感染症に関する専門的知識を有し、かつコミュケーション能力やマネージメント能力といった行政能力を備えた人材を養成し、登用、維持すべきである。

        • 整備

    • サーベイランス

      • 地方衛生研究所のPCRを含めた検査体制などについて強化するとともに、地方衛生研究所の法的位置づけについて検討が必要である。

    • 広報・リスクコミュニケーション

      • 国民への広報やリスクコミュニケーションを専門に取り扱う組織を設け、人員体制を充実させるべきである。

      • 情報発信に当たっては、その目的に照らし合わせて、「正確」な情報を、きめ細かく頻繁に、具体的に発信するように工夫すべきである。

    • 水際対策

      • 「水際対策」との用語については、「侵入を完璧に防ぐための対策」との誤解を与えない観点から、その名称について検討しつつ、その役割について十分な周知が必要である。

      • 発生前の段階から、新型インフルエンザを含む感染症対策として入国地点においてどういった対策を講じるべきかについて検討し、普段から実践しておくことが必要である。

    • 公衆衛生対策(学校等の臨時休業等) 

      • 病原性に応じた学校等の休業要請等について、国が一定の目安(方針、基準)を示した上で、地方自治体がその流行状況に応じて運用を判断すべきである。

    • 医療体制

      • 国が基本的な方針、考え方を示した上で、都道府県ごとに地域の実情を踏まえ、必要となる医療提供体制について検討を進めるべきである。また、国は、これに対する必要な支援を行うべきである。

      • 具体的には、医療スタッフ等の確保、ハイリスク者を受入れる専門の医療機関の設備、陰圧病床等の施設整備などの院内感染対策等のために必要な財政支援を行う必要がある。

    • ワクチン

      • 国家の安全保障という観点からも、可及的速やかに国民全員分のワクチンを確保するため、ワクチン製造業者を支援し、細胞培養ワクチンや経鼻ワクチンなどの開発の推進を行うとともに、ワクチン生産体制を強化すべきである。併せて、輸入ワクチンについても、危機管理の観点から複数の海外メーカーと連携しつつ、ワクチンを確保する方策の一つとして検討していくべきである。

      • ワクチンの接種体制の確保の準備を進めるべきである

      • ワクチンによる副反応を、迅速かつ的確に評価できるように、ワクチン以外の原因による有害な事象の把握や予防接種の実施状況と副反応の発生状況を迅速に把握できる仕組みを作るよう検討すべきである。

    • 結びに

      • 今回こそ、発生前の段階からの体制強化の実現を強く要望し、総括に代えたい。

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