文献・歴史 [2023年1月~]
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医療供給体制と構造的制約-日本のコロナ病床確保はなぜ困難に直面したのか- March 22, 2023 東京財団政策研究所
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政策課題としての医療
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政府が国民に対して負っている医療上の責任とは、①医療提供の質保障②医療の経済アクセス保障③医療の物理的アクセス保障、にまとめられる。
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制度としての医療
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医療は高度な科学技術であり、その理解には高度な知識と技術を要する。専門外に対して閉じているような政策領域を、政治学では「政策共同体(policy community)」と呼ぶ。民主主義のもとでは高い政治的正統性を持つ議員や首長に対しても遮蔽性・自律性が高いため、共同体内で独占的に政策形成がなされていると考えられてきた。ただし、医療を含めた社会保障や公衆衛生など広義の保健福祉政策は、厚生労働省や都道府県庁保健福祉部などの公的機関で一般の行政職によって立案・実施されている。
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医学知識は制度設計の前提ではあるが十分条件ではない。しかも医療のアクセス保障に関しては、医学内在的というより(政治的争点になった、社会の安定を図るなど)社会的要因に起因している。
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医療制度の形成過程
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日本の医療は病院でなく開業医主体であり、また医療費は技術ではなく薬や注射など「モノ」に課金する傾向が長く続いた。
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わが国では3万人超の保健師が地方政府で公衆衛生業務に従事しており、緻密で高水準な公衆衛生行政は他国に例を見ない。公衆衛生や疾病予防を重視し、地方政府も重要な主体として関与するのが日本の医療体制の特性であるが、それは戦後のGHQ/PHW体制ではなく、むしろ戦中期にその起源を遡ることができる。
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本来、社会変動による福祉の社会化が生じた場合には、サービスの拡大・整備で対処すべきだったが、現実には医療がその受け皿となっていった。疾病構造の変化で生じた病院ニーズを、開業医たちが引き受けた。開業医たちは医療の保険化と経済成長によって安定的で大きな利得を得た。
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80年代以後に採られた制度改革の多くは、高齢者医療費の抑制を直接の目的としたものだった。
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日本の医療は安くて良いのだが、それを支える要因として、地方政府による公衆衛生行政が緻密に展開されていることや医療機関のアクセスが極めて良いことが挙げられる。
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コロナ禍と日本の医療
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制度史的に考えると、そうした日本医療の長所がパンデミックでの脆弱性の原因だといえる。日本では小規模の私立病院が散在しているが、そもそも政府には医療機関の診療体制に対して直接介入する法的権限がない。しかも地方の衛生行政機関である保健所は日常的に病院と関わる業務をしていない。したがって、新型コロナ症の入院調整をしたり患者を診療につなげたりすることは、政府セクターの手に余る任務だった。
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160万超の日本の病床の多くは私立病院のものであり、政府の影響力は及ばない。しかも福祉代替的機能で存続してきたそれらの病院は、規模が小さく個室でもなく、新型コロナ症に脆弱な高齢患者を収容している。政府の要請を受け入れる物理的な余地は、どのみちなかったのである。感染抑制に成功しながら、病床供給で異常な逼迫に直面したのは、日本の医療供給体制が歴史的・構造的に有している制約から生じるものだといえる。
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府県保健所機能を対物と高度対人に集約し、周産期や高齢者など一般対人保健は市町村へ移管されていった。地方公務員総数は328万人(1994年)から280万人(2022年)へ大幅減少しているが、自治体の保健師は2.5万人(97年)から3.6万人(20年)へ増加している。増分の多くは市町村保健師で、行政改革の制約下でも政府・自治体が市町村保健機能の強化による高齢者保健と医療費適正化に寄せる期待の表れだといえる。
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問題は、府県と保健所設置市、そして一般市町村の保健機能の間に一元的な指揮命令系統が存在しないことである。感染症の対処は、高度対人保健機能として保健所に残された。しかしそこで想定されているのは速度が遅く発生も稀少な症例であり、速度が速くコモン・ディジースでもある新型コロナウイルス感染症に保健所が対応するのは困難だった。しかも一般市町村の保健師は感染症制御の行政回路に組み込まれていないので、保健所の逼迫を市町村の応援で乗り切ることはできなかった。地方政府は二系統の保健行政機構を有しながら、相互に冗長性を担保することができなかったが、それは70年代以降の政治変動の帰結として現行の保健機能の切り分けが位置づけられているからである。
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このように考えると、病床や保健所の逼迫は単にガバナンスや危機管理が欠如していたからではなく、医療機能形成の歴史的構造的制約のもとで発生したものである。
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水道行政、約60年ぶりの機構改革、国土交通省に一元化-新型コロナ問題が飛び火、通常国会で法改正へ 基礎研REPORT(冊子版)3月号[vol.312] 2023年03月07日 ニッセイ基礎研究所
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コロナ対応で国の主導性を発揮できなかった反省に立ち、岸田文雄政権は感染症に関する国の司令塔機能を強化する方針を表明。この余波を受ける形で、公衆衛生に関する厚生労働省の機構が大幅に見直され、水道行政を国土交通省に移管させる方針が決まりました(水質に関する業務は環境省に移管)。
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これは「上水道=厚生労働省(旧厚生省)」「下水道=国土交通省(旧建設省)」に分かれていた体制の実質的な一元化を意味しており、約60年ぶりの機構改革になります。つまり、感染症対策の強化が思わぬ形で上下水道行政に飛び火し、機構改革に繋がったと言えます。
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上下水道の所管を巡る歴史
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開国間もない頃、明治政府はコレラ対策として上下水道の整備に力を入れました。当時、中央政府で上下水道行政を担当していたのは内務省という役所でした。
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敗戦後の1947年に占領軍の手で内務省が解体されると、建設省が水道と下水道の工事指導・監督を、厚生省が水道と下水道の事務を担うことになった。
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その後、経済成長が加速する中、通商産業省(現経済産業省)が工業用水を担当。
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上下水道の整備が急がれるようになり、役割分担の「交通整理」が1957年1月に図られ、厚生省が上水道、建設省が下水道、通産省が工業用水を担当する整理になり、今回の機構改革の意味合いとしては、この時以来の約60年ぶりの見直しという位置付けになります。ただ、下水道の終末処理場に関しては、厚生省が引き続き担当。
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人口の都市集中が進み、下水道の未整備が顕在化したことで、1967年2月に役割分担が見直された結果、下水道行政が建設省に一元化され、現在に至る役割分担が確定しました。
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新型コロナ問題を受け、公衆衛生に関する厚生労働省の機構が感染症対策に特化される形で大幅に再編されることになり、インフラ整備の側面を持つ水道部門が「上下水道行政の一元化」という名目の下、国土交通省に移ることになりました。政府は2023年の通常国会に関連法を改正し、2024年度から新体制に移行させる予定です。
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